私は自分の見たものを信じてる。

すべては愛ゆえに。ただのメモです。

“あんちゃん”とは。ーーー役者北山宏光を表現するには、この世に言葉が足りなさすぎる。

 

 

そうだったのか!

 

正しいかどうかわからないし、私なりの解釈だが、最後で全部繋がって何か騙されたような気分になった。

それなのに、気分がいい。

騙された気分なのに。(笑)

 

7/15と7/16に再び、北山宏光主演舞台「あんちゃん」を観劇した。

初日から時間が経過したので、今回は大いにネタバレした文章を落としておきたいと思う。

 

あくまでも私個人の勝手な解釈ですので、さらっと聞き流してください。

あと、セリフも完全なものじゃなくニュアンスなので、その辺もサラッと流してください。

あと、まぁ……まぁいいや、なんかいろいろサラッと流してください。(流すもんばっかだな)

 

 

 

 

 

 

 

 

物語は父親が帰ってきたところから始まる。

 

 24年ぶりの父との再会。

緊迫したリビング。

 

そして、24年前への場面転換。

 

そこの落差が激しい。

24年前にはすごくすごく幸せそうな家族がそこにあり、「あんちゃんだよ〜」と、カメラに手をふる凌(北山宏光)は無邪気で明るかった。

 

この直後に父親が疾走するとは思えない。

この後、母は昼夜働き、姉たちは家事に追われる。

末っ子の長男が不登校になる。

そんな家族になるとは思えない。

まだ、そうなることを知らない家族がある。

暗い場面との差が激しく、冒頭にも関わらず、泣いてしまった。

明るく楽しいって、時に人をせつなくさせる。

 

落差のあとのオープニングがめちゃくちゃかっこいい。

凌がビデオカメラを持って立つ姿が、また、かっこいい。もうみなさんご存知かと思いますが、北山さん、すごくかっこいいんです。

いやまじかっこいい。

 

このとき舞台上をめいっぱい使ってカメラを回す凌が撮る世界は、街の風景。

劇中、父に観て欲しいと渡した映画のタイトルが「Street Life」なので、単純だがこれが凌の撮った映画なのかもしれない。

しかし、舞台には映像でキャスト紹介に織り交ぜて、家族の紹介がある。

ただのオープニングだと思っていた。

タイトル「あんちゃん」と出る。

ただのオープニングだと思っていた。

ここ、覚えておいて(笑)

ただのオープニングだと思っていた。って。

 

 

先に、ちょこちょこ気になった点を記しておく。

 

 

◼️転校したいと父に言ったら父に「自分のところにこい。ただし母さんの了承を得ること」と言われた凌。勇気を出して、パパのところへ行きたいと言ったのに「了解なんてしない」という母の言葉に絶望する凌。

 

母は先生に「余計なことはしないでください」と言う。

「私もお姉ちゃんたちも、あの人のことを忘れて生活している。凌ちゃんも」と。

 

凌は忘れていないのに、酷いな…。

それは母の願いで、母は、凌に離れていって欲しくないだけで。

 

「いかないで」と泣く母。

母を見た凌は、きっとそのとき「母を泣かせてはいけない」って思ったはず。

泣かせたくない、と思ったはず。

誰のためでもなく、自分のため。

誰かのせいにはせずに。 

 

でも、父のところへ行きたいという想いも本当だった。

その想いを断たれたとき、泣かないけれど、心で泣いてるんだな、って凌の目を見て思った。

 

子どもだし、大袈裟に泣いて表現してもいいのにそれをしない。

俳優、北山宏光の腕の魅せ所のひとつである。

 

心で泣いて、心で叫んでいる。

 

 口にはせず、涙も流さずに、凌の目から色が無くなり、笑顔で、「ここにいる」って言う。

ゾッとするくらい、空っぽの笑顔だった。

子どもになんて顔をさせるんだ、と、母親が恐ろしくなった。

 

その後凌は、母の元を離れる姉達をどこか俯瞰で見ている。

父の撮ったビデオを出したときも「母さん泣いてばかりで」と言っていたが、泣く母を、何度も見てきたんだ。

ただ、凌は、それ以来母を泣かせていない。

 

 

 

◼️長女(田畑智子さん)と次女(広澤草さん)の性格

 

最初、父が24年ぶりに訪ねてきているシーン。

リビングに緊張感が走る。

父が「なんとかかんとかってアレが、なんとかかんとかっていうアレで」と話し、

次女も「アレがアレしてアレだから」と、言う。

それに、クライマックスで凌が「父に1番似ているのは次女かもしれない」と、言うように、やはり、父と次女、この2人はどこか似ているのだ。

 

父は凌とキャッチボールをしたとき、凌に「やりたくないことはやらなくていい」と言ってくれる。

学校がツライということ、転校したいということ。

見抜いているというか、凌の気持ちに敏感でいてくれる。凌の気持ちを引き出してくれる。それが、凌の父だ。

 

一方、次女は凌に「小学生の頃仮病使って母に父を呼んでもらおうとしてたでしょ?」と言う。

次女は、父と同様に、凌の口には出さない気持ちをわかっていた。

 

その証拠に、父と凌の2人がキャッチボールをして「転校したい」「パパのところへ行きたい」と言う22年前を見て、

次女は『やっぱりそうだよね…』というような、弟のことをわかっているけど、ツライという風の表情を浮かべた。

 

比べると長女は、転校したいという凌の気持ちは初耳だったようで、すごく驚いていた。

驚いて、すごく、ツラそうだった。

これは、長女として、姉として、わかってあげられなかった点を悔やんでいるのではないか。

口煩く言っていても、やはり姉として、弟を思う気持ちはある。

 

光は当たっていなかったが、長女と次女の繊細な演技で2人の性格がよく現されていた。

この舞台はもともと見る人によって立場が様々で、長女目線や次女目線で見てしまう人もいると思う。

田畑さん演じる長女と、広澤さん演じる次女がリアルだから、そりゃあ感情移入しちゃうよね。素晴らしかった。

 

 

◼️物語終盤、父親が撮ったビデオを見せようと凌が家族を集める。

父は失踪後、子どもたちの学校行事でこっそりビデオを回していたのだ。

「父さんは、いなくなったあとでも俺たちを見ていてくれた」と、得意げに話す。

 

“バザーで値切らない次女”

“マラソン大会で必死に走る長女と、走らず友達とダラダラ歩く次女”

 

でもその学校行事は、姉達にとってはいい思い出ではなかった。

 

“家計のために、バザーは少しでも高く売りたかった”

“陸上部に入りたかったけれど、家のことをしなければならないから入らなかった。するとそれまで自分より足の遅かった子が陸上部で実力をつけていて悔しかった。

塾に行きたかったけど行けず、自分で必死に勉強したから受験勉強で疲れてダラダラ歩いていた”

 

なるほど。

映像だけではわからない姉達の苦い気持ちがあった。

「父さんはいなかったから、私たちのこと知らないでしょ?」という姉の言葉は最もである。

 

姉達の話を聞いている凌は、何とも言えない。

ここで北山くんの聞く演技が素晴らしく、いつも息を飲んでしまう。

 

ただ、鬱陶しそうにするだけじゃない。

悔しそうにするだけじゃない。

 

ある一言には、唾を飲み込む。

ある一言には、唇の端が震える。

 

憎しみ、怒り、悲しみ、すべてを織り交ぜた表情をして、最後に、あの、母親に笑顔を見せたときのように、瞳から光が消える。

何これ?

そんなこと、出来んの?

目が死ぬ、ではないのだ。

死んでない。

死にながら生きている。

そんな風だ。

北山くんは凌でそれをやってみせた。

 

それまでただ姉たちのやり取りを聞いていた凌は、声を荒げる。

 

 

さて、最初の映像、タイトルはオープニングだと思っていた。と、言ったことを覚えているだろうか。(しつこい)

 

凌は最後の作品として、父親が記憶を取り戻すまでのドキュメンタリー映画を撮るという。

 

ねぇ、私たちが今観てる舞台って、何だったっけ?

 

鳥肌がたった。

まるでホラーのように。

 

今観てるのって、「あんちゃん」…だよね?

そんな気持ちの中、凌の感動のセリフは、まさかの、背中だ。

客席に背中を向けて言い放つ。

思い出せと。

父へまくしたてる。

 

「あなたには、こんな家族がいる。」

「思い出してください。」

「思い出して、母や姉に心の底から詫びてください。」

 

 

すごい。

 

とにかく、すごい。

気迫。

表情を使った演技ではなく、背中。

すごく制限のある中での、あのセリフ。

 

 

 

 

そして、暗転。

 

ラストシーン。

居酒屋天狗で父と飲む。

 

記憶のないはずの父は言う。
「おまえのこと、あんちゃんって呼んでなかったか」

 

オープニングで、楽しそうに「あんちゃんだよ〜〜」と、していた24年前のビデオを見せた。

 

 

「もうあんちゃんじゃないから、あんちゃんって呼ぶのやめない?」と、提案する凌。

しかし父は、

「もうしばらく、あんちゃんって呼んでいいか」ときく。

 

あんちゃんになれなかった、凌。

でも誰より家族のあんちゃんだった凌。

「いいよ」の、一言で、物語が終わる。

 

なんとも、絶妙な表情で、私はこの表情への言葉を知らない。

なんて言えば伝わるかわからない。

その言葉を知らない。

北山くんの演技を表現するには今世の中に存在している言葉の10倍は必要だ。

 

 

そして、鳥肌!!!!!

 

 

だって!!!凌が撮るドキュメンタリー映画は、父が記憶を取り戻すまでのドキュメンタリーでしょ??

完全ではないけれど、ひとつ、「あんちゃん」の記憶を取り戻したんだよ??

 

ねぇ、今観てる舞台、なんだっけ??

父が記憶を取り戻すまでのドキュメンタリー?

この、「あんちゃん」って、凌の作品なのかな?

凌が撮ったドキュメンタリー映画なの??

 

全て繋がり、そこへ行き着いてしまう。

恐ろしい!

騙されたような気分だ。

※あくまでも、私個人の解釈です。

 

 

 

でもさ、父は思い出したら家族に会いたくなかっただろうね。

今は、記憶がない別人なわけだから。

ズルいなぁ…。

なぜ、あのとき家族を捨てたのか。もう知る術はないんだもんなぁ。

記憶を失ったことで、まるで新婚のような(言い過ぎ)父と母を見て、ずるいなぁ…と思った。

 

他にも色々、言いたいシーンは盛りだくさん。

 

戻ってきた父を見送るとき、必ず次の約束を取り付けようとする凌が切ない。
1度目は自分の店、2度目は飲みに誘う。

 

ちくわぶの劇や、掛け算などの、先生とのシーンが面白い。

特に7/16は引きこもる凌の部屋にランドセル投げ入れる姉→押し入る先生→追い払うために学童帽で先生の顔を覆ったり、叩いたりする必死な抵抗が見えてよかった。

 

 

 

 

 

しかし、ひとつ、疑問が残る。

最初から、凌は今の凌だったのだろうか。

 

恐らく過密スケジュールの中で作られた舞台。

フライヤーは、まだ舞台が出来てない頃に作られたんだと思う。

フライヤーの凌の言葉は、「何をいまさら、帰れよ」である。

抜き出された一言はきっと重要なはずで、その役柄の立ち位置を紹介しているはずだ。

でも、凌って、そんな立ち位置だったっけ?

 

そうだ、初めて観た日の違和感はこれだった。

あれ?凌ってこんな役?って。

凌も、父が帰ってきたことに反対するんだと思っていたから。

 

それが、賛成するでも反対するでもなく、ただ俯瞰で見ていたので、驚いたのだ。

 

もしかすると、最初と立ち位置がわずかに変わったのかもしれない。

最初の脚本ではそうだったのかもしれない。

でも、稽古をするうちに、今の絶妙な、白黒ハッキリしない立ち位置へ誘われていったのかもしれない。

セリフは同じでも、込めた物が変わったのかもしれない。

 

田村氏は、役者にいろいろ言わずにやらせてみるって言っていた。

 

以前書き記したが、凌の役柄と北山くんに共通すると感じたのは「物事を俯瞰で見てる」ところである。
たまにキスマイを外から見てるな…と、感じることがあったので。

 

その部分が出ているのではないか?

 

まぁ、ここもあくまでも推測で、ただフライヤーが不思議だっただけなんだけど。

 

 

ただひとつ言えるのは、やっぱり私にとって北山くんは特別で、「北山ナンバーワン」がそこにあって、大満足の舞台だった。

 

 

グローブ座に架かる大きな『あんちゃん』を見上げて大きく深呼吸した。

 

北山くんを表現するには言葉が足りなさすぎる。

 

だから、言葉にならないこの気持ちは、この気持ちだけは忘れないでいようって思った。