私は自分の見たものを信じてる。

すべては愛ゆえに。ただのメモです。

いい名前をいただきました。/Love-tune Live 2017

 

 

◾️

 

↑これだけでした。

えぇ、四角◾️

 

先週、Love-tune Live 2017の思いをまとめようと開いたはてなブログ、これ→◾️ しか残されてなかった。

 

まだ私はZepp DiverCityにいる。

ずっとZepp DiverCityにいる。

2週間経ってもなお。

 

目の前にはこんなにも鮮明に、初日に見た7人の姿がある。

 

安井くんの姿がある。

尋常じゃなく力のこもった真剣な目、どこか追われてるかのような緊張感、いつもよりも肩の力が入っていて、そして……アンコール後の、最後の最後。

グッとこらえて照れたような、子どもが大泣きして泣き止んだ後に見せるような、梅雨の間の急な晴れ間のような、笑顔。

 

手を伸ばせば届きそうなほど、鮮明に残る記憶。

 

こんなに残ることは今までなくて、正直戸惑ってる。

基本的に右から左へ〜次々と忘れていくタイプだから(笑)

だから、書こうとしても「◾️」だけで放置されてたんだと思う、このページ。

 

この異常さは、世に言う席の良さとか、セトリの良さではないのかな、と。

 

例えば今年は演劇系は2列目以内で観劇することが多かった。とある小劇場で、5席しかない最前列に配置されたこともあった。

あれはあれで、役者の息遣いの伝わり方が独特で、忘れられない経験だった。

ただ、それとは全く違う種類だ。

 

Love-tune Live 2017は、距離じゃない。

なんなら初日は1番遠いところにいた。

猪狩さん的な言い方をすれば「高い所から失礼致します」でした。まぁそれでどこにいたかわかると思うんだけど。

 

 2017年10月18日(水)

Love-tune Live 2017 @Zepp Diver City

 

その日はやってきた。

 

始まる前は、それほど緊張はしなかった。なんなら私、最初に、Zepp東京に行ったから。(恥)

ただ、始まったときのメンバーの力の入り具合で、何故か緊張してきてしまった。

 

尋常じゃない緊張感だった。

何?誰か、親でも人質に取られた?!(大真面目)そんな緊張感だった。

 

3曲目T.W.L.

安井くん、「みんな声は出てるね、ジャンプしてみようか?」と言い出す。
ジャンプなんて、普段の現場じゃありえない。

帝劇で飛ぶ?!飛ばないよね?!

安井くんの「ジャンプしてみようか?」に、ファンから疑問符のついた「え?」「ええ?」という戸惑った言葉が囁かれる。

記憶が曖昧だけど、真田くんだったっけ?、すかさず「Zeppだからね」と付け加えた。

 

そう、ここは、ホームじゃない。

いつもと違う箱だよ。だから逆に、いつもと違うことが出来る。

 

Zepp初めての人も多かったのかな?

なんかそんな話もしてたよね。「初体験だね!」って。Zeppバージンだらけだったのか、ファンはLove-tuneと一緒にZeppの楽しみ方を覚えて行く感じだった。

私もZeppは2年ぶりくらいだった。(あ、直前にZepp東京に行ったのはノーカウントですぅ)

久しぶりだったのでZeppぅぅぅぅ!!!!!って高まった。

安井くんからの「ジャンプしてみよう?」が嬉しかった。

だから、飛んだ。

足の骨が折れてたんだけど、飛んだ。(マジ)

なんなら両足くれてやるつもりの気合い。だってそれがZepp※だから。(※勘違い。安全にご利用ください)

Love-tuneがそれくらいの気合いを持ってたから、私も自然とそうなった。

 

 

ジャンプしてからの安井くんは「みんな緊張ほぐれた?僕も」って笑った。
緊張って、自分もかーい!(下手なツッコミ)的な、笑いになったけれど、これは安井くんなりに緩急つけて自分をコントロールしているのではないかと感じた。

彼は、現場での深呼吸の仕方を知っている。軌道修正の感覚はピカイチだから。

なお、わたくし安井くんを時々褒めているかもしれませんが、自覚はありません。そして安井担ではありません。あしからず。

 

 

度々言う、「みんなの緊張がほぐれてきた…」

それは、そっくりそのままLove-tuneのことで、ファンはLove-tuneの鏡だったと思う。

彼らが緊張してたから、緊張したし、彼らがほぐれてきたから、ほぐれたんだ。

 

とにかく、1番安心の安井くんの緊張感が半端なかったことで、その異常さを知る。

 

安井くんの最初の言葉が「ジャニーズJr.がやらせてもらう意味を」というような、そんな感じだった。

 

その重圧は、彼らにしかわからない。

 

もちろん楽しそうではあったけれど、すごくすごく楽しい!ってだけじゃなかったように思う。

まるで、親を人質に取られた状態で、「さぁ行ってこい、笑え!」と放り出されたかのような緊張感も持っていた。

裏で誰かの家族、誘拐されてない?大丈夫?(2度目)

そんな緊張感だった。

 

言葉が出てこない安井くん

「俺こんなの初めて」

えぇ私もこんなの初めて。

 

 

その緊張感から、Zepp Diver CityでのLove-tune Live 2017が、すごくすごく大事な位置にあるんじゃないか…と思い始めた。

指先からジワジワと侵食されるように、まさかのLive開始後に『今更の緊張感』というのを味わった。

始まる前の緊張ならあるんだけど、開始後に緊張に追いかけられたのは初めて。

初めてで、なんか怖かった。

 

 

ところでPONで、顕嵐がはっきりと「中途半端って言われるけど…」と言った。

彼らはもっといっぱい辛辣な言葉を浴びてきたんだろうな……。

正直Love-tuneが出来た頃に、なんかアンバランスだなぁ〜と感じた覚えがある。

バンドスタイルにする意味は何?

他にないから?

なら、出番は多くても、ずっと後ろ?集客要員かな?

そんな感じだった。

結成の瞬間に、私は諦めた。

 

 

でも、あれよあれよとLove-tuneは変わっていった。

いや、変わったのではないかもしれない。

本来持っているものの使い方や魅せ方がわかるようになってきた、と言うのが正しいのかもしれない。

彼らがファンと共に作る世界観は、間違いなく彼らが作ったものだった。

私は彼らのことをよく知らない。だから、語るのはやめる。ただ、彼らの作る世界観が全てだった。

 

クリエが素晴らしくて、これ以上のLiveは今後ないなぁと感じた後、キントレ単独でそれを更新してきた。(その後今回のZepp単独がキントレの素晴らしさを更新するんだけど)

段々素晴らしくなっていく彼らの作るステージを見たらわかると思う。

そして、それは認めざるを得なかった。

  

顕嵐「中途半端でも極めたら個性になる」

 

彼らはそう言いながら、突き進んで来た。

お互いの目指す先はハッキリとしていて、友達と「まるでインディーズバンド応援してる気分になるよね」と、話していた。

ファンが感じてることも同じだったのではないかと思う。

 

安井くんは、Love-tuneを「まだ生まれたばかりです」と言った。

 

でも、生まれたばかりだから、ゆっくりでいいと誰が決めた。

生まれたばかりだから許されると、誰が決めた。

生まれたばかりだから、甘やかそうって誰が決めた。

 

Love-tuneは、人間じゃない。

 

生まれてから母の腕に抱かれ、泣いたらオムツを替えて貰い、おっぱいを貰って、ゆっくりゆっくり大事に大事に育てられるような人間ではない。

Love-tuneは、大自然の中で産み落とされた動物のようだ。

生まれてすぐに立たなきゃ、ヤラレル。

まるで大自然の中に生まれた、草食動物のように。

その嗅覚を、7人全員が持っていることが、この大自然の中を生き抜く絶対条件。

7人で一体の動物だから。

 

安井くんは、Love-tune

「まだ1歳ちょっと。赤ちゃんです」と言う。

 

まだ赤ちゃんだけど、ひとりで立ったんだね。

まだ赤ちゃんなのに、ひとりで立ってる。

Zepp DiverCityに。

それが、単独の、Love-tune Live 2017。

それは、Love-tuneが生きている証だった。

 

 

 

Love-tuneがまるで持ち歌のように歌ってると語る、TOKIO兄さんたちの曲『自分のために』

ちょうど開始直後の、彼らが緊張の波を抜けたあたりで来た。

相変わらず秀逸なセトリ。

萩谷さんはソロパートで、「お前ら!!自分の力で越えていけ!!!」と、自分の言葉のように叫ぶ。いやあれはきっと萩谷さんの言葉だった。
萩谷さんは、ファンと、自分自身含めた7人に向けて言ってるんじゃないか?会場の全部を見られる位置にいたのは、萩谷さんただ1人だから。

演奏中の萩谷さんには、後ろからメンバーを俯瞰で見てるように感じるときがある。(主観で物を言ってます)メンバー全員の背中を見ながら、メンバー越しの客席も見渡せるのが萩谷さん。

 

 その萩谷さんの言葉に、ゾクゾクした。

 

Love-tuneが生きてるんだ、ここで。

 

 

 

 

「ラストスパート!」と、叫んでからの、『象』

 並々ならぬ魂の叫びを感じた。
まさに、この、大自然の中に放たれた赤ちゃん、Love-tuneのようだった。
赤ちゃんでも、生きるしかない。
産み落とされたあと、どう生きるかは、本人次第で、「産まれてくれてありがとう」

まさに、それだった。

 

初披露の『This is Love Song』

安井くん「この日のために作っていただきました。Love-tune初のみなさんへのラブソングです」

 

初めてのラブソング。ファンや関係者、周りの人に返す愛の歌。

Love-tuneというグループの名刺のような曲だな、と感じた。

バラードじゃない、泣かせる曲じゃない、転調してからのキラキラのアイドル感。

やっぱり、笑っていようよ、そう思えた曲だった。

 

インディーズバンドのようだ…と、先に話したけど、やっぱり彼らはアイドルだった。うん、わかってたけど、やっぱりアイドルだった。

でも、こんなアイドルグループいないね。

君達に出来ないことはないから、その手で摑み取れるよ。

 

 

 

 

「ジャニさんから、いい名前をいただきました」

 

安井くんは、生まれたばかりの子どもの名前を大切に発表するかのように大切に言葉を紡ぐ。

 

“いい名前をいただいた”

 

『そうだね、良い居場所をもらいました』と、心の中で返事をした。

 Love-tuneという名前をいただくということは、安井くんたち7人の居場所があるということだから。

 

安井くんは、最後に言う。

「俺らの名前呼んでくれる?」

「俺らが……違った。俺らとみんなで、Love-tune!!」

 

「俺らが…」と言いかけて、「違う」と言う。

違うと訂正してから、みんなでLove-tuneだと言う。

訂正することで、安井くんが心の底からそう思ったんだね、と思う事が出来る。

ここの部分に、どれだけの効果があるのか、知っててやってるのか…。

それとも“考えなくても出てくる”部分なのかな。どっちにしても、安井くんは天才。(知ってた)

 

 

去年の春頃のエンタミクスだったと思うんだけど(ただの記憶で申し訳ない)This is LoveSongでいう、『曖昧な始まり』の頃だったかもしれない。

安井くんはインタビューに「それまで個々が輝けばいいと思っていたけど、グループを輝かせるにはどうすればいいか考えるようになった。みんなでディスカッションするのが楽しい」というような内容を話した。

 

最後の挨拶で、「またやれるかどうかわからないけど…」と言った安井くん。

我々が見ることができない様々な背景や事情を含んでの、現実的な話なんだろう。

でも「またやろう!」ってサッパリあっさり言っちゃう萩谷さんと「楽しかった」って言うメンバー。

 

あぁ、安井くんはひとりじゃないんだなぁ。大事な居場所が出来たんだな、と思った。

 

 

産まれてくれてありがとう。

 

 

ほんと、良い名前をいただきました。

 Love-tune 

そこは、私の居場所でもある。

 

 

 

 

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Love-tune Live 2017 

2017.10.19〜20

Zepp DiverCity

 

 

自担に落ちました。/魔女の宅急便大阪8/31昼

 

 

拍手の中、泣き崩れた。

 

 

何が何だかわからなかった。

自分に何が起きているのかわからなかった。

ただ涙が止まらなくて、気持ちが抑えられなくて、ずっと静かに泣いていた。

友達に「大丈夫?どうしたの?」って心配されてしまった。

隣の友達の声に、少し現実に引き戻される。

そうだ、今日はオタクの友達じゃなくて、ミュージカルが見たいという友達と来ていたんだ。

 

現実に引き戻されても友達が、「大丈夫?」って言えば言うほど、涙が止まらなくなった。

 

自分で言うのも何だけど、私は割とクールに応援するタイプなので。(笑)

まさか、私がこうなるなんて。

 

 

自担に、落ちました。

 

 

 

 

2017年8月31日。

魔女の宅急便、大阪公演の初日にお邪魔してきました。

昨日、20歳になった顕嵐。

20歳になって初めての顕嵐を観るのを楽しみにしていた。

 

6月の東京公演は観ていたし、正直、以前に書いたように東京公演で「敗北感」を味わって帰って来ていたので、『ハタチの顕嵐』を観たいという以外にはそれほど特別な思いはなかったと思う。

 

ただ、顕嵐の演じるトンボの登場の瞬間、その気持ちが一変する。

 

 

 

何…?!何が起こってるの???

 

 

 

顕嵐のトンボが、すごくすごく上手くなっている!!

予想を遥かに上回る成長…!!

もしや、ハタチを機に中の人変わった?

顕嵐の見た目をした別人?

こんないい顔した別人なんていないよ!!??(さり気なくデレてみる)

 

 

東京公演では、ジブリ映画のトンボで役作りしたのかなーって思えるような演技だった。

動きが、アニメ。(可愛い)

まぁ美しいお顔だし、アニメでもいいんですけど(どんな根拠

 

 

 

最初、キキを見つけたとき、眼鏡にそっと触れて、トンボは、自分の目でしっかり見ようとする。

 

アニメじゃない…!!!

動きが!アニメじゃないよ!!!???

 

こんな細かく表現していたっけ?

もっと大振りだった気がする。

 

 

憧れの魔女に空の飛び方を聞くと、魔女の血だからと言う。

それから、トンボの無神経な言葉。

 

「なーんだ。血で飛ぶってことは、努力しないで飛べたんだ」

 

衝撃が走った…!!

すごい!!

この人、すっごい悪気なく「なーんだ」って言ってる!!

 

腹立つ!!

 

「なーんだ」っていう言い方が、わざとらしくなく、でも意味はすごく伝わってくる。

 

ねぇ顕嵐。

この一言、東京公演終わってから、一体何回練習した??

何百回、何千回、何万回と練習した??

 

顕嵐がこんな「なーんだ」の言い方が出来るなんて知らないよ?!

やっぱり、別人かな??中の人が(省略

 

 

トンボ顕嵐の最初の登場は、確実に前回までとは違うものだった。

 

 

「あなたのせいで」と言われて、

『えぇ?!オレ?!』って言ってるなーってわかるジェスチャー

 

「お仕事がんばって」が、定型文じゃない。

可愛いだけじゃない。

可愛さを少し減らして、サラッと爽やか度を入れて、ウザさも少々。

 

 

計算をするとき、眼鏡を外して、指先が動く。

 

 

細かい演技。

指先の神経までも。

 

 

 

そして、何より!!!

東京公演で敗北感を味わった、歌!!!

 

歌が格段に上手くなっている!!

 

ぜんっっっぜん違う!!!ほんと、別人!!!

 

もちろん、不安定な場所はありました。

一緒に観劇した友人は畑違いの友人で、白羽さんの話ししかしていなかったけど(察して)、私が「顕嵐の成長!!(涙)」って言うと、「え?あれで?」と、言い放った(暴言)とは言っても、あの共演者の中でよくやってるよね…。と、かなり褒めてくれていた。

 

でも、私は東京公演のトンボ顕嵐と比べて話している。

19歳のトンボ顕嵐と比べて話している。

 

Love-tuneのボーカル、顕嵐は3ヶ月弱で、凄まじい成長を遂げていた…!!!!!

 

 

すごくない?!

やっぱりこれくらいの年齢だと、物事を吸収し易く、成長し易いのかな?

それでも、そんなの比じゃないんじゃ?!ってくらいの成長!!!!!

 

 

 

  ♪飛びたい 毎日考えていた

  目の前に現れた 

  奇跡のような魔女の子

  毎日考えてしまうよ君のこと♪

(歌詞違うかもしれません… ニュアンスということでご了承下さい)

 

 

歌で伝わる、トンボの想い。

その想いが顕嵐の声で本当に伝わってきて、何かヤバイかもしれない!と、本能的に感じる。

 

そのとき、一幕が終わる。

 

 

 

二幕。

 

顕嵐さん、絶好調。

ヤバイという本能的な勘は正しかった。

 

繊細な演技とは打って変わって、キキと踊るシーンの動きは豪快だった。

 

 ♪重力〜揚力♪抗力〜♪

 

迷いのない、確かな動き。

東京公演ではここの初々しさが良かった。

言い方を変えると、ぎこちなさ(笑)

でも、トンボは積極的になっていた。変わっていた。

キキを、ちゃんとリードしていた。

 

 

そして、ダンスパーティー。

顕嵐がセンターで踊るショータイムである。(違)

ショータイム…の、はずだった。

が、膝をついて、両手を振るという振りがあるが、それが、阿部顕嵐ではなく、トンボだった。

前はそのシーンになると、あ!顕嵐だー!って手を振り返したくなった。

でも、今回はそんなことはない。

手の振り方が、顕嵐じゃなかった。

アイドルじゃなかった。

トンボ。あれは、トンボ。

 

踊り終わったら、シャツの裾を掴んでパタパタと、中に空気を送り、眼鏡を外して汗をぬぐった。

あれ?顕嵐さん、女優だから(本人談)顔に汗かかないよね?

あ!そっか!トンボだもんね??

踊って、「あっつ〜」ってしてる、トンボか!

 

 

ちなみに、二幕はどこから泣いていたのかわからないけれど、もうずっと泣いていたかもしれない。(恐怖)

顕嵐の成長に対して、感情が付いて行かなかった。

 

 

どこだっけなー??

体調の悪いキキに、町長が仕事を頼むシーン?

ベッド脇で、じっと耐えるトンボを見たときには泣いてた気がする。

 

キキの代わりに

「僕が行きます!キキのこと悪く言うのはやめてください!」

と宣言したときには、泣いてた気がする。

 

 

飛行機とともに勇ましい表情で出てきたときは、泣いてた気がする。

 

 

トンボはトンボ自身を鼓舞するため、歌う。

     ♪行くぞートンボー! ♪

泣いた。泣いてた。きっと、もう泣いてた。

きっと、っていうか、泣いてた。

 

 

 

キキに助けられ、手を繋いで2人で飛ぶ。

キキ「広場まで頑張れる?」

トンボ「キキこそ大丈夫?」

 

 

あれほど無神経だったトンボが、まず相手のことを考えた。

それが、すごくよくわかる一言で、顕嵐の成長を見ていたけど、トンボの成長も見えて……ここでも泣いてます。

しつこいくらい泣いてます。

 

 

 

前にも書いたが、顕嵐はこのミュージカルへの意気込みで「必ず成長する」って言っている。

 

こんな言い方は失礼だが、よく聞く言葉だ。

「成長したい」って。

言わなくても、駆け出しの役者なら誰しも胸の内にある目標だと思う。

成長しなきゃ、次はないから。

 

でも、その成長……!!!

え、これ、まじ、成長?!ほんとにめちゃめちゃ成長してるよ!!!!誰?!

顕嵐の成長というのは、私の想像を遥かに越えてきた。

 

 

 

よく、現場落ちと言うが、私は顕嵐担にして顕嵐の成長を見て現場で顕嵐に落ちました。

 

 

 

元々自担だけど、二度惚れるとはちょっと違うんだよなぁ…。

こんな状態になったことはないし。

感動で泣くとか、そんな類ではなかったし。

そんな女子いるよねぇ可愛いなぁ大好きなんだねぇって思っていた。

 

でも、私のこの号泣は、そんな自担大好きとは違った。

わけのわからないものだった。

感情がキャパを越えるもので、涙となって溢れたのではないか……と、思う。(推測)

 

実は最近は、顕嵐よりもLove-tuneが好きだった。自担よりグループが好きなのってありなのかどうなのかわかんないけど、私はそうで。(笑)

割とクールに顕嵐を応援していた。

 

でも、今日、私はちゃんと顕嵐担になったと思う。

 

 

 

怖いなぁ…

だって、20歳と1日の顕嵐さんで、これだよ?

この先どうなの?!!どうなるの?!

怖い!!怖いよ!!恐怖!!!

顕嵐担楽しい!!!楽しみ!!!

 

 

では今日は、自担に落ちた日、ということで。

 

 

 

 

 

ちなみに……

 

友人「情緒不安定?大丈夫?大丈夫?」

 私 「うぇーーん…だって、成長……! (泣いてて言葉にならない)」

友人「成長って(笑)お母さん?!」

 私 「そう、あの子立派になって…(乗っかる」

 

 

 

という種類のオタクなので無害です。

同担の方、ご安心下さい。

 

 

 

 

 

 

ミュージカル魔女の宅急便

シアタードラマシティ

2017年8月31日14時開演

 

 

#阿部顕嵐  #魔女の宅急便 

 

 

 

 

さよならだけの人生/舞台『怒りをこめてふり返れ』

 

 

あぁ実に、気分の悪い作品!

 

私は、舞台『怒りをこめてふり返れ』を一言でそう表現する。

 

 

言葉の渦。

役者たちの息遣い。

多過ぎるセリフ。

きたきたきたきた!生きてる!という感じがピリピリと伝わってくる。

たまらない。

私好み!

そう、素晴らしい舞台だった。

 

難しく考えると、持っていかれる。

単純に考えようとすると、繋がらない。

約3時間の中で、私は何度も自分を見失い、途方に暮れた。

 

 

 

この作品を観ようと思った理由はシンプルで、主演が中村倫也さんだからだ。

 

中村倫也さん主演の舞台を観るのは、HISTORY BOYSから3年、2度目となる。(主演じゃない舞台除く)

 

HISTORY BOYSの、教師アーウィン

これといった分かりやすい特徴がないのに、圧倒的な存在感があった。

強烈な個性があるわけじゃないし、目立った役じゃないのに、目立っていた。

レンジャーでいう、レッドみたいな感じ。

そこに立つだけで、センターの人だった。

でもこの舞台を観るまでの私が知る中村倫也さんは、名脇役だった。

だから、センターも出来るなんて!!この人、すごい‥!!!

“どんな脇役でも出来る”んじゃない。

“どんな役でも出来る”んだ。

主役の顔になったら、主役の役をきっちり出来る人だ!!

年齢的にもキャリアも実力も、評価もある人?と、思い込んで調べたら、HISTORY BOYSが初主演舞台だった。

驚いた。

この人は、もっと評価されるべき人だろう!!

当時、別の役者目当てで観劇したが、中村倫也さんの実力と魅力にすっかりハマっていた。

 

 

 

さて、今回「怒りをこめてふり返れ」の千穐楽のみ観劇した。

 難しいことは専門外ですので、言いません(笑)わかんないもん!(笑)

 

ただ、すごい迫力。

掴み合いや絡みのシーンも全力!!物や、なんなら役者までもが飛んで来そうで怖かった。

私、最前列だったけど、いつでも倫也さんを受け止める準備はあったよ?(さぁこい)

 

1幕で、浅利さんの額が切れて流血するというアクシデントがあったが、そのときの立ち振る舞いが見事だった。

すごく雑な動きなのに、しっかり布巾を傷口に当てる、倫也さん。

会話の中で鏡台で額を確認する浅利さん。

 

他にも表現が違うところがあったようで、何度目かの方々が楽しそうだった!

悔しい!!

これは、もっと観たかったぞ。

千穐楽より前に見ていたら、きっと、当日券頑張ってたと思う。地方だけど通いつめたと思う。

だから、千穐楽が私の初日で良かったのかもしれない。

だって、一度きりでよかったと思う気持ちもあるから‥。

 

だって、この舞台、すごく疲れるんだもん。

 

 

ジミー(中村倫也)はずっと怒ってる。

その言葉には負の力があって、負の力がある言葉を浴び続けるのは、精神をすり減らす。

 

中村倫也さんの主演舞台だから観たかった‥‥

 

そんなこと言ってたのに、倫也さんのジミーは、耳を塞ぎたくなるような、理屈っぽい罵詈雑言続きだ。

 世の中をナナメにしか見られないの?と、反論したくなると、もうすでにジミーの世界の中にある。

 

寂しい人だなぁ。

かわいそうな人。

一瞬一瞬の表情が秀逸で、顔が違う。

鏡越しに見えた顔。

新聞で隠した顔。

怒りからの、悲しみ。

 

一幕の終わりの、あの、孤独。

グッと掴まれて、闇の底に落とされるような感覚だった。

深い深い闇だった。

 

 

ジミーは自分を「さよならだけの人生」と言った。

ねぇ、なんで、ジミーにはさよならだけなんだろう。

さよならがあるってことは、その前に同じ数だけ「初めまして」があったはずだよ。

初めましてがあって、必ず、さよならがあるのが人生で。

さよならのない人生なんてない。

なのに、ジミーは、自分を「さよならだけ」と言う。

 

なんでかなぁ‥。

それは、彼の人生によるものだけど、ジミーは、失うものだけ、見てる。

雑な振る舞いは、繊細な自分、弱い自分を隠すため。

 

やっぱり、寂しい人だなぁ‥。

 

何度も言うけれど、あの目、あの表情。

ぐしゃぐしゃになって、感情をむき出しにしてるとことか。

ジミーって、素直だよね。

曲がっているように見えて、とっても素直。

だから、感情の浮き沈みも多いし。

ジミーの人生を生きた中村倫也さんはすごかった‥。

 

 

 

 

 

ふと、思った。

この怒りって、今のSNS社会が似てない?

炎上する、叩く、みたいな。

否定でしか自己の存在を示さないのだろうか。

‥‥と、この一言も、立派な否定だよね。(反省)

 

今日みたいに負の言葉を浴び続けると、プラスの言葉を使いたくなる。

だって、健康によくないんだもん。

否定の言葉って、こんなにも重いんだもの。

 

 

さよならだけじゃなく、さよなら“まで”を想える人でありたいな、と思った。

初めましてから、さよならまでを大事にしたい。

さよならの後も大事にしたい。

 

 ヘレナが言った、『人を傷つけていたら幸せになれない』って考えでいたい。

そんなこと言うとジミーに嫌われそうだけど。 残念。(笑)

 

 

 

最後にひとつ。

カーテンコールがとてもとても可愛らしかったです。

頭下げて、どうする?上げる?上げる?まだ?って共演者でタイミング計ってるところとか。

扉通り過ぎていって出てこなかったりとか。

引っ張っられて出て来ちゃうとか。

浅利さんを残して扉閉めちゃうとか。

浅利さん、ひとりで踊り出すとか。

それを扉の隙間からみてる倫也さんとか。

 

こんなお茶目で、あんな役をやっちゃうんだからなぁもう!(たまらない気持ち)

次はどんな顔(役)を見せてくれるんでしょうか?

楽しみです。

 

 

 

 

怒りをこめてふり返れ

千穐楽(2017年7月30日)

新国立劇場 小劇場

約3時間5分(1幕95分 休憩15分 2幕75分)

 

 

 

 

“あんちゃん”とは。ーーー役者北山宏光を表現するには、この世に言葉が足りなさすぎる。

 

 

そうだったのか!

 

正しいかどうかわからないし、私なりの解釈だが、最後で全部繋がって何か騙されたような気分になった。

それなのに、気分がいい。

騙された気分なのに。(笑)

 

7/15と7/16に再び、北山宏光主演舞台「あんちゃん」を観劇した。

初日から時間が経過したので、今回は大いにネタバレした文章を落としておきたいと思う。

 

あくまでも私個人の勝手な解釈ですので、さらっと聞き流してください。

あと、セリフも完全なものじゃなくニュアンスなので、その辺もサラッと流してください。

あと、まぁ……まぁいいや、なんかいろいろサラッと流してください。(流すもんばっかだな)

 

 

 

 

 

 

 

 

物語は父親が帰ってきたところから始まる。

 

 24年ぶりの父との再会。

緊迫したリビング。

 

そして、24年前への場面転換。

 

そこの落差が激しい。

24年前にはすごくすごく幸せそうな家族がそこにあり、「あんちゃんだよ〜」と、カメラに手をふる凌(北山宏光)は無邪気で明るかった。

 

この直後に父親が疾走するとは思えない。

この後、母は昼夜働き、姉たちは家事に追われる。

末っ子の長男が不登校になる。

そんな家族になるとは思えない。

まだ、そうなることを知らない家族がある。

暗い場面との差が激しく、冒頭にも関わらず、泣いてしまった。

明るく楽しいって、時に人をせつなくさせる。

 

落差のあとのオープニングがめちゃくちゃかっこいい。

凌がビデオカメラを持って立つ姿が、また、かっこいい。もうみなさんご存知かと思いますが、北山さん、すごくかっこいいんです。

いやまじかっこいい。

 

このとき舞台上をめいっぱい使ってカメラを回す凌が撮る世界は、街の風景。

劇中、父に観て欲しいと渡した映画のタイトルが「Street Life」なので、単純だがこれが凌の撮った映画なのかもしれない。

しかし、舞台には映像でキャスト紹介に織り交ぜて、家族の紹介がある。

ただのオープニングだと思っていた。

タイトル「あんちゃん」と出る。

ただのオープニングだと思っていた。

ここ、覚えておいて(笑)

ただのオープニングだと思っていた。って。

 

 

先に、ちょこちょこ気になった点を記しておく。

 

 

◼️転校したいと父に言ったら父に「自分のところにこい。ただし母さんの了承を得ること」と言われた凌。勇気を出して、パパのところへ行きたいと言ったのに「了解なんてしない」という母の言葉に絶望する凌。

 

母は先生に「余計なことはしないでください」と言う。

「私もお姉ちゃんたちも、あの人のことを忘れて生活している。凌ちゃんも」と。

 

凌は忘れていないのに、酷いな…。

それは母の願いで、母は、凌に離れていって欲しくないだけで。

 

「いかないで」と泣く母。

母を見た凌は、きっとそのとき「母を泣かせてはいけない」って思ったはず。

泣かせたくない、と思ったはず。

誰のためでもなく、自分のため。

誰かのせいにはせずに。 

 

でも、父のところへ行きたいという想いも本当だった。

その想いを断たれたとき、泣かないけれど、心で泣いてるんだな、って凌の目を見て思った。

 

子どもだし、大袈裟に泣いて表現してもいいのにそれをしない。

俳優、北山宏光の腕の魅せ所のひとつである。

 

心で泣いて、心で叫んでいる。

 

 口にはせず、涙も流さずに、凌の目から色が無くなり、笑顔で、「ここにいる」って言う。

ゾッとするくらい、空っぽの笑顔だった。

子どもになんて顔をさせるんだ、と、母親が恐ろしくなった。

 

その後凌は、母の元を離れる姉達をどこか俯瞰で見ている。

父の撮ったビデオを出したときも「母さん泣いてばかりで」と言っていたが、泣く母を、何度も見てきたんだ。

ただ、凌は、それ以来母を泣かせていない。

 

 

 

◼️長女(田畑智子さん)と次女(広澤草さん)の性格

 

最初、父が24年ぶりに訪ねてきているシーン。

リビングに緊張感が走る。

父が「なんとかかんとかってアレが、なんとかかんとかっていうアレで」と話し、

次女も「アレがアレしてアレだから」と、言う。

それに、クライマックスで凌が「父に1番似ているのは次女かもしれない」と、言うように、やはり、父と次女、この2人はどこか似ているのだ。

 

父は凌とキャッチボールをしたとき、凌に「やりたくないことはやらなくていい」と言ってくれる。

学校がツライということ、転校したいということ。

見抜いているというか、凌の気持ちに敏感でいてくれる。凌の気持ちを引き出してくれる。それが、凌の父だ。

 

一方、次女は凌に「小学生の頃仮病使って母に父を呼んでもらおうとしてたでしょ?」と言う。

次女は、父と同様に、凌の口には出さない気持ちをわかっていた。

 

その証拠に、父と凌の2人がキャッチボールをして「転校したい」「パパのところへ行きたい」と言う22年前を見て、

次女は『やっぱりそうだよね…』というような、弟のことをわかっているけど、ツライという風の表情を浮かべた。

 

比べると長女は、転校したいという凌の気持ちは初耳だったようで、すごく驚いていた。

驚いて、すごく、ツラそうだった。

これは、長女として、姉として、わかってあげられなかった点を悔やんでいるのではないか。

口煩く言っていても、やはり姉として、弟を思う気持ちはある。

 

光は当たっていなかったが、長女と次女の繊細な演技で2人の性格がよく現されていた。

この舞台はもともと見る人によって立場が様々で、長女目線や次女目線で見てしまう人もいると思う。

田畑さん演じる長女と、広澤さん演じる次女がリアルだから、そりゃあ感情移入しちゃうよね。素晴らしかった。

 

 

◼️物語終盤、父親が撮ったビデオを見せようと凌が家族を集める。

父は失踪後、子どもたちの学校行事でこっそりビデオを回していたのだ。

「父さんは、いなくなったあとでも俺たちを見ていてくれた」と、得意げに話す。

 

“バザーで値切らない次女”

“マラソン大会で必死に走る長女と、走らず友達とダラダラ歩く次女”

 

でもその学校行事は、姉達にとってはいい思い出ではなかった。

 

“家計のために、バザーは少しでも高く売りたかった”

“陸上部に入りたかったけれど、家のことをしなければならないから入らなかった。するとそれまで自分より足の遅かった子が陸上部で実力をつけていて悔しかった。

塾に行きたかったけど行けず、自分で必死に勉強したから受験勉強で疲れてダラダラ歩いていた”

 

なるほど。

映像だけではわからない姉達の苦い気持ちがあった。

「父さんはいなかったから、私たちのこと知らないでしょ?」という姉の言葉は最もである。

 

姉達の話を聞いている凌は、何とも言えない。

ここで北山くんの聞く演技が素晴らしく、いつも息を飲んでしまう。

 

ただ、鬱陶しそうにするだけじゃない。

悔しそうにするだけじゃない。

 

ある一言には、唾を飲み込む。

ある一言には、唇の端が震える。

 

憎しみ、怒り、悲しみ、すべてを織り交ぜた表情をして、最後に、あの、母親に笑顔を見せたときのように、瞳から光が消える。

何これ?

そんなこと、出来んの?

目が死ぬ、ではないのだ。

死んでない。

死にながら生きている。

そんな風だ。

北山くんは凌でそれをやってみせた。

 

それまでただ姉たちのやり取りを聞いていた凌は、声を荒げる。

 

 

さて、最初の映像、タイトルはオープニングだと思っていた。と、言ったことを覚えているだろうか。(しつこい)

 

凌は最後の作品として、父親が記憶を取り戻すまでのドキュメンタリー映画を撮るという。

 

ねぇ、私たちが今観てる舞台って、何だったっけ?

 

鳥肌がたった。

まるでホラーのように。

 

今観てるのって、「あんちゃん」…だよね?

そんな気持ちの中、凌の感動のセリフは、まさかの、背中だ。

客席に背中を向けて言い放つ。

思い出せと。

父へまくしたてる。

 

「あなたには、こんな家族がいる。」

「思い出してください。」

「思い出して、母や姉に心の底から詫びてください。」

 

 

すごい。

 

とにかく、すごい。

気迫。

表情を使った演技ではなく、背中。

すごく制限のある中での、あのセリフ。

 

 

 

 

そして、暗転。

 

ラストシーン。

居酒屋天狗で父と飲む。

 

記憶のないはずの父は言う。
「おまえのこと、あんちゃんって呼んでなかったか」

 

オープニングで、楽しそうに「あんちゃんだよ〜〜」と、していた24年前のビデオを見せた。

 

 

「もうあんちゃんじゃないから、あんちゃんって呼ぶのやめない?」と、提案する凌。

しかし父は、

「もうしばらく、あんちゃんって呼んでいいか」ときく。

 

あんちゃんになれなかった、凌。

でも誰より家族のあんちゃんだった凌。

「いいよ」の、一言で、物語が終わる。

 

なんとも、絶妙な表情で、私はこの表情への言葉を知らない。

なんて言えば伝わるかわからない。

その言葉を知らない。

北山くんの演技を表現するには今世の中に存在している言葉の10倍は必要だ。

 

 

そして、鳥肌!!!!!

 

 

だって!!!凌が撮るドキュメンタリー映画は、父が記憶を取り戻すまでのドキュメンタリーでしょ??

完全ではないけれど、ひとつ、「あんちゃん」の記憶を取り戻したんだよ??

 

ねぇ、今観てる舞台、なんだっけ??

父が記憶を取り戻すまでのドキュメンタリー?

この、「あんちゃん」って、凌の作品なのかな?

凌が撮ったドキュメンタリー映画なの??

 

全て繋がり、そこへ行き着いてしまう。

恐ろしい!

騙されたような気分だ。

※あくまでも、私個人の解釈です。

 

 

 

でもさ、父は思い出したら家族に会いたくなかっただろうね。

今は、記憶がない別人なわけだから。

ズルいなぁ…。

なぜ、あのとき家族を捨てたのか。もう知る術はないんだもんなぁ。

記憶を失ったことで、まるで新婚のような(言い過ぎ)父と母を見て、ずるいなぁ…と思った。

 

他にも色々、言いたいシーンは盛りだくさん。

 

戻ってきた父を見送るとき、必ず次の約束を取り付けようとする凌が切ない。
1度目は自分の店、2度目は飲みに誘う。

 

ちくわぶの劇や、掛け算などの、先生とのシーンが面白い。

特に7/16は引きこもる凌の部屋にランドセル投げ入れる姉→押し入る先生→追い払うために学童帽で先生の顔を覆ったり、叩いたりする必死な抵抗が見えてよかった。

 

 

 

 

 

しかし、ひとつ、疑問が残る。

最初から、凌は今の凌だったのだろうか。

 

恐らく過密スケジュールの中で作られた舞台。

フライヤーは、まだ舞台が出来てない頃に作られたんだと思う。

フライヤーの凌の言葉は、「何をいまさら、帰れよ」である。

抜き出された一言はきっと重要なはずで、その役柄の立ち位置を紹介しているはずだ。

でも、凌って、そんな立ち位置だったっけ?

 

そうだ、初めて観た日の違和感はこれだった。

あれ?凌ってこんな役?って。

凌も、父が帰ってきたことに反対するんだと思っていたから。

 

それが、賛成するでも反対するでもなく、ただ俯瞰で見ていたので、驚いたのだ。

 

もしかすると、最初と立ち位置がわずかに変わったのかもしれない。

最初の脚本ではそうだったのかもしれない。

でも、稽古をするうちに、今の絶妙な、白黒ハッキリしない立ち位置へ誘われていったのかもしれない。

セリフは同じでも、込めた物が変わったのかもしれない。

 

田村氏は、役者にいろいろ言わずにやらせてみるって言っていた。

 

以前書き記したが、凌の役柄と北山くんに共通すると感じたのは「物事を俯瞰で見てる」ところである。
たまにキスマイを外から見てるな…と、感じることがあったので。

 

その部分が出ているのではないか?

 

まぁ、ここもあくまでも推測で、ただフライヤーが不思議だっただけなんだけど。

 

 

ただひとつ言えるのは、やっぱり私にとって北山くんは特別で、「北山ナンバーワン」がそこにあって、大満足の舞台だった。

 

 

グローブ座に架かる大きな『あんちゃん』を見上げて大きく深呼吸した。

 

北山くんを表現するには言葉が足りなさすぎる。

 

だから、言葉にならないこの気持ちは、この気持ちだけは忘れないでいようって思った。

 

 

 

 

 

 

 

その思いは偽りなんかじゃない。【6/27あんちゃん初日】

 

6月27日、楽しみにしていた北山宏光主演舞台『あんちゃん』の初日に行ってきた。

 

こんなに始まる前から楽しみな舞台はなかなかない。

さらに観劇後、期待以上の思いを持ち帰ることもなかなかない。

『あんちゃん』は私にとってかなり特別な舞台となった。

 

『あんちゃん』を観ると、みんな語りたくなると思う。

この舞台は様々な角度から切り取ることが出来るし、観る人によって全く違ったものになるからだ。

かく言う私も、語りたくて仕方がない。

 これ以降ネタバレ含む感想を落とします。まだ観劇していない方はご自身の選択で回れ右してくださいませ。  

 

 

 

「人の為と書いて、偽り」

 

物語終盤、北山宏光演じる主人公、凌が言った言葉だ。

母が望むから「パパの所へ行きたい」という思いを封じ込めた凌。

母のため、家族のため……

果たして凌の行動は、偽りだったのだろうか。

 

転校したかった凌。

父の元へ行きたかった凌。

その思いを偽ることでしか、人の為に生きられないのだろうか。そもそも、人の為に生きる必要があるのだろうか。

 

個人的に、凌の母親がかなり怖かった。

姉2人が「お母さんは人が良すぎる」と言ったとき、吐き気がするほど嫌な気持ちになった。

どこが!!!この母親のどこが人が良いのかと。

 

「ここにいて」と、幼い凌に言う母親は、狂っているように見えた。

そして、凌は母の為という選択をする。

そこで母を捨てれば良かったのか…?

凌には別の選択があったのか…?

 

子どもは、親の世界で生きるしかない。

親が頼りなくなったら、子どもが大人になるしかない。

弟は天使になり、凌は“あんちゃん”にはなれなかったが、別の意味で、家族の“あんちゃん”になった。

なるしかなかった。

私は、凌には“何も選択肢はなかった”と思っている。

 

 

そんな凌に選択肢が出来たのは、父親に会いに行ったときだった。

 

“転校したい”

“パパのところへ行きたい”

 

凌が、凌の為に生きる選択肢だった。

でも父親は、それを受け入れたように見えて、最後に「母さんの了承をとれ」と言う。

 

なんてこと!!!!

絶望だった。

もうその言葉に絶望した。

この父親も、あの母親と同じだった。

まだ子どもの凌に、自分で母親を捨てさせようと言うのか。

 

自分の為に発言出来ない子が、唯一のワガママを言ったのに。

それがどれほど勇気のいることなのか、どうしてわかろうとしないのか。

どうして手を引いてあげないのか。

どうして「母さんには俺から話してやる」と言えないのか。

 

結局凌は、母親の元に残ることを選択する。

……というよりも、その選択肢しか残されていなかった。

 

 

 

 そして名実ともに大人になった凌は、俯瞰で物を見るようになった。

家族をどこか離れたところから見ているように感じた。

 

家族でいるときに、「いたの?」と言われる凌。

姉のその言葉は、笑いの要素として働いていたが、凌の立ち位置を上手く伝えていた。

姉達が強烈なキャラクターというのも一種の理由だと思うが、凌は自分の存在を主張せず、ただ、家族を見ている。

 

そこに、北山宏光と重なる部分を感じた。

たまに北山くんには、「あ、今、外から見てるな」と、感じることがある。

グループの一員なのに、離れた所で、俯瞰でキスマイを見ているように見えるときがある。

決して孤独なわけではなく、彼独自の目線、特技だと私は勝手に思っている。

 

おっと、話を戻す(笑)

 

 

 

誰かのせいにしたら楽だ。

しかし、結果は全て選択した本人の責任になってしまう。

 

姉の、家族のために進学しなかったことや、家族のために、家事をしていたこと。

凌は言った。

「自分が選んだんじゃないか」と。

 

これほど人の為に生き、人に合わせて生きているように見えた凌が。

人のせいにして生きる姉に向けた言葉。

この言葉を凌の立場に置き換えてみる。

 

 

凌は、母を捨てられなかったんじゃない。

自分で選んだんだ。

 

 

凌は、“自分で選んだ”。

 

自分で選んだことにしている。

 

どう見ても選択肢はなかったのに、それを「自分で選んだ」ことにしている。

背負わなくてもいいものまで背負う。

そこにも、北山宏光と通じるものを感じた。

 

 

最初、この舞台のキャッチフレーズ“誰かのせい”を聞き、凌も誰かのせいにして生きている典型的なタイプだと勝手に想像していた。

しかし、凌はそうではなかった。

 

 

『人の為と書いて偽りだ』と、姉達に言い放った凌。

凌は、幼い頃から自分にそう言い聞かせていたのではないだろうか。

人の為というのは、偽りだ、と。

だから、自分が母の為というと偽りになる。

母への思い、家族への思いも、偽りになる。

 

偽りじゃないから……母の為という思いは偽りにしてはいけないから、自分が、そうしたいと思ったと言い聞かせていたのではないだろうか。

 

それは、とても孤独で、切ない。

 

 

弟か妹が出来たと聞いた凌。

あのときは、ただ、誰のためでもなく、

ただ、凌は、凌のために、

自分の為に喜んでいた。

自分の為に「弟がいい」と言った。

 

クマのぬいぐるみでオムツ替えしたり、お風呂入れたり、弟の面倒を見る練習をしていた凌。

あの頃が、凌の最後の子どもらしさだった。

 

 

最後に、父親にあんちゃんと呼ばせることを許可したとき。

あのときも、やっぱり凌は家族の“あんちゃん”で、これからも“あんちゃん”であり続けるのだろう。

父親のために、「いいよ」って言っていて、でもそれは、父親の為ではなく、偽りのない凌の愛。

 

家族の話で、よく出がちな「愛」という言葉が敬遠されているようにも感じた舞台。

これが愛だという自覚もなく、愛に溢れている彼に、偽りはないのだと思う。

 

表か裏、黒か白。

グッズがリバーシなことがかなりシニカルでしたが、この舞台のテーマにもなっていると思う。

ただそこに偽りはなく、田村氏が北山くんに感じた印象、孤独を感じない、明るい印象にも“偽り”はないのだと思う。

 

 

 

 

 北山くんは、舞台への意気込みの中で「凌としてこの舞台に立っているように見えるように頑張りたい」と語っている。

 

私は好きな俳優や、好きなアイドルの舞台を観に行くとき、相手に任せている。

演者が、その役になりきっていたらそうだし、なりきれていなかったら、まぁ…それなりに楽しい(笑)という見方をしている。

普段、好きなアイドルや俳優の舞台は、ほぼ8割が、本人がチラッと見えて楽しいというパターンで、役に集中出来ない。

何度か公演を繰り返して役に見えることもあれば、ごくたまに、俳優の舞台では最初からその役に見えることもある。

 

北山くんは、珍しく、その、最初からその役に見えるパターンだった。

 

だから、後から流れてきたレポで「ティッシュ使いが!」というのを見たとき愕然とした!!

私はオタク!!何やってんの私!!喜ぶところじゃん!!何やってんの私!!!(2回目)

 

ちなみに私は、北山くんを前にすると取り乱す。うぁぁぁかわいいぃぃかっこいぃぃぃぃ!!!(心の声)となる。写真の前でそうだから、本人を前にしたら言葉を失う。(重症)

 

その私が、北山くんを前に、うわぁぁぁ(心の声)とはならなかった。

私には北山くんの姿をした凌だったから、凌がティッシュを高速で引き抜こうが、お茶を溢そうが、そりゃもう関係なかった。

 

レポを見たとき、これ、北山くんがやってたら?!と、想像すると、うぁぁぁぁぁ!!!と、騒がずにいられなかった。後悔。

オタク失格である。

初日から、北山くんではなく凌だったせいで、北山くん的な萌えポイントを萌えとして捉えられなかった。

 

しかし、北山くんが意図していた「凌として立っていた」んだから、そりゃもう仕方ない。

抗えない。

完敗だ。

 

役者・北山宏光にしてやられた。

それが、偽りない、私の初日の感想。

 

 

 

以上。

 

 

 

歌で伝えるということ《Dream on/Kis-My-Ft2》

.

 

 

 

‪6月22日、Kis-My-Ft2の名古屋公演に入った。

 

昼公演で心震えた部分があり、もしかして夜も?と、思うと夜公演もだった。

 

 

ねぇ、聞いて。

すぐ終わるから、聞いて!!!

いつも話長いけど、今回はすぐ終わらせるから!聞いて!(すでにここが長い)

 

 

 

Dream onのカメラ割りが憎い。

 

 

 

や!!まじで!これ!狙いすぎかもしれないけど、すごい私好み!!!‬

 

静岡では全体見てなくてこの撮り方だったかどうか記憶にないんだけど、今回たまたま昼公演で全体を見てたので気付いた。

前からなのかもしれない。

だから、このタイミングで素晴らしい!と言うのは間違ってるかもしれない。

 

ただ、素晴らしかった。

 

 

モニターに映る、映像が!

 

 

 

 

 

アンコール一曲目Dream onは、客席の合唱から始まる。

 

 

そのときの会場のモニターについて言いたい。


①‪客席大合唱

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②藤ヶ谷くんのマイクへ(藤ヶ谷くんが客席の声を拾う)

f:id:keinyan625:20170625130740j:image 

 

 

③マイクを辿ると、藤ヶ谷くんがすごい笑顔。‬

 f:id:keinyan625:20170625131056j:image

…なんてこと!!絶望的!絵が描けない。(その前の2枚見たらわかる)

だから手持ちの藤ヶ谷くんの笑顔写真探してみたけど、この時と同じ笑顔の写真はなかった。

あの笑顔の写真がない。

いつものとびきりのSMILEなんだけど。

でも、何ていったらいいのか……あの、マイク掲げてみんなの声を聴いているときの笑顔の写真は持っていなかった。

私の中で今までで1番、という順番をつけるジャンルとはかけ離れた位置にある笑顔だった。

だから、公演に行った方はそのときの笑顔を、行ってない方は、あなたの中の彼のとびきりの笑顔を思い浮かべて欲しい。

 

 

ねぇ、これ、最高じゃないか!!ストーリー性がありすぎる!!!

 

①ファンの歌声

②ファンの声がマイクに集まる。

③集音しているのは藤ヶ谷くんで、マイクに入っていくように、その声は彼の耳に入っていく。

④藤ヶ谷くんは、とても嬉しそうに笑ってた。

 

 

 

ねぇ!!!最高じゃないか!!(2度目)

だれ?!

考えたのは藤ヶ谷くん?!スタッフさん?!

素晴らしいよ!!

 

 

‪そして終盤で藤ヶ谷くんの言葉が生きる。

「しっかり7人に届いてます、Thank you」‬

 

届いてる……!!!!!

届いてる!!!!!

彼が言うのは、今この瞬間の歌声のことだけじゃない。

今会場にいるファンだけじゃない。

来られなかったファン、遠いファン、みんな。

ファンみんなのことを言ってるよ。

ファンみんなの声、想いは届いてるんだ。

 

どわぁーっと、感情が追いつかなくなる。

彼はファンの心を掴んで離さない。

 

 

 あ、私、普段北山担とか言われるんですよ。(唐突)

好きなタレントさん数々ですし、決してお花畑な藤ヶ谷担じゃないので、そんな私がこんな言い方するのすごい珍しいことだけはお知らせしておきます。

 

 

昼と夜はカメラの角度が違ったので、別のカメラになったか、もしくは藤ヶ谷くんの向いてる方向が違ったのかもしれない。

でも、絵作りは同じだった。

だからあそこは確実に、固定なんだろうなーって。

 

 

でも、このつなぎ方はすごく良い。

何がいいって、わかりやすいこと。

 

作り手になると、細かいこだわりが増える。こだわりって、正しい日本語で、しなくてもいいことのことね(笑) 

「すごいこだわりですね!」って言うのは、意訳すると「しなくていいことやってんな〜お疲れっすー!」となる(極論)

私も映像編集の仕事をしてたときに、こだわりが強すぎてよく上司と衝突してました。

 

ただ、こだわりって一般にはわかりにくい。

どれだけ時間をかけたって、伝わらない。 

伝わってる人もいるから無駄ではないんだけど。

 

でもここは、すごくわかりやすいし、恐らくたくさんの人に伝わってると思う。

 

わかりやすく、表現されていた。

そこが最高だった。

 

ただ歌詞に想いを綴ったり、メロディに想いを乗せるだけが歌で伝えるってことじゃない。

ファンの歌声も込みで、この流れが、演出が、藤ヶ谷くんの笑顔が、歌で伝えるってことなんだ。

 

 

すごく、あたたかい世界でした。

 

 

 

以上、 Dream onのカメラが教えてくれた演出に感極まったお話でした。

 

 

 

 

 

あ、藤ヶ谷くんお誕生日おめでとうございます。(ゆるい藤ヶ谷担)

 

彼がいなくなる前に 【担降りアンケート結果】

 

 

 

もうどこにもいない。

  

 

 

「どこに行ったのかな。

私が好きだった藤ヶ谷はもうどこにもいない」

元藤ヶ谷担の妹が言った。

 

 

 

 

デビュー前にキスマイを降りたことを知っていたけど、数年前に絶賛キスマイハマり中だった私は、降りたことに構わずに妹を誘ってツアーに行った。

我ながら無神経な姉である。

遠征地に一緒に行ってくれる人がいなかったので仕方ないとか言ってみる(笑)さみしっ!

でもお互い遠征地に友人がいたので、それぞれその友人に会おうよ!って目的もあって行った覚えがある。

 

 

 

そして入ったコンサート。

コンサート中、彼女はただジッと見ていた。

ペンライトを握りしめて、微動だにしなかった。

ちなみにこのドームツアーは、アリーナの前から3列目?だったはず。記憶が定かではないけど。(※うちの妹はなぜか近い席しか取れない傾向にある。もちろんコネチケとかではないですwwwww)

 だから特に双眼鏡とかも必要なくて、メインのステージが近かった。

その近さ故に、妹がじーっと無表情で見ていたのはメンバーの目に入ったかもしれない。何度か目を逸らされた気がしたが、そのうち一回くらいは気のせいじゃないと思う。どうもうちの妹が愛想悪く、ノリも悪くてごめんなさい。(滝汗)

 

そんな様子でも、ジュニアくんたちは妹にファンサしまくっていた。

すごい。

ジュニアくんたちのプロ根性はとにかくすごいよ。全力で盛り上げようとしてくれてる!!

もう妹にファンサ祭りだった。そして干される隣の姉!!!!!(衝撃)

あれ?見えてないのかな??ねぇ!ここにもいるよ?!あれ?おかしいな?

 

 

 

 

コンサート終了後に妹の感想を聞いたら

「わかった」と言っていた。

何がわかったのかわからなかったけど、でも私は特にそれ以上は踏み込まなかった。

 

 

 

 

 

降りた理由は詳しく聞いてはいなかったが、変わってしまったからだと言う。

彼女は元々私よりもオタク気質で、収集、保存癖があった。

何でも新しいまま保存しておきたいというタイプで、未開封のままの保存用が置いてあるタイプだった。他人に触られるのは嫌だし、自分の指紋さえ付けるのも嫌。おぉ怖い。(笑)

雑誌はもちろん1ページだけとか、12分の1くらいの小さな記事でも買う。

中高生でそれはなかなか大変だったと思う。

 

 

でも妹は、ある時期にそれらを一気に捨てた。

ちなみにこの当時の私は、デビューグループのゆるっとしたファンでした。

うちわは恥ずかしくて持てない系乙女でした(黙れ)グッズも恥ずかしくて買えない系乙女でした(黙れ)こっそり写真とかパンフとか、隠せるやつを買う系乙女でした(結果買ってる)真剣に、担当のことだけ!というようなファンではなかったし、別のハマってる趣味もあったからオタクじゃなかったと思っている。

ひとつのアーティストとして、生活の一部にいる感じかな。……それが今やどっぷりオタクです。怖いねぇ。(震)

 

 

 

妹がオタグッズを捨ててから1年くらいして、彼らはデビューした。

 

空気の読めない私が、

「デビューするね?」と言うと、

「みたいね?」と妹の声には温度がなかった。

 

「なんで?なんで?」と、さぁこい!とばかりに、まるで松岡修造のように熱血に言う、ウザいこと極まりない姉。(松岡さん好きです)

「もう興味ない。好きじゃない」とキッパリと言われた。

そのとき「降りる」という行為の意味を知った。

 

 

私みたいに「彼も好きー!」「あの子も好きー!」みたいなジャニだけに留まらずいろいろ好きで、素直に多方面に愛を持つのではなく(DDの言い訳)真面目に「藤ヶ谷担」だった妹。

妹はかつて今はいないとある子の担当だったから、藤ヶ谷くんについてはその子に似てたから気になってた、というあたりまでは聞いてたから知ってた。

でも今回は、藤ヶ谷くんに似た別の人が現れたわけでもなく、ただただ、やめたのだ。

 

 

 

Twitterで降りた理由についてアンケートをしてみた。

【質問】降りた経験がある方へ。理由を教えてください。

⑴別に担当が出来た

⑵私生活に変化があった

⑶自担の変化

⑷スキャンダルや報道、噂

 

結果はこの通り。

 

 f:id:keinyan625:20170611152013j:image

⑴別に担当が出来た …64%
⑵私生活に変化があった …10%
⑶自担の変化 …16%
⑷スキャンダルや報道、噂 …10%

 

最も多いのが、

「 別に担当が出来た 」64%だった。

 

 

次に多いのは「自担の変化」だったが、これは16%で、圧倒的に「別に担当が出来た」の回答が多かった。

とは言っても、Twitterをしている人って、オタクがほとんどなので(偏見)、別の担当が出来た人が多いのは頷ける。

そもそも降りてジャニから離れて、Twitterもしていない人はアンケートの回答者になり得ないから。

 

 

でも、この結果だけを信じるとすると、「別に担当が出来た」が最も多い。

自分が原因、って感じかな。

もちろん、自担が変わってしまったから別に好きな人が出来たという選択もあると思うけど。

 

別に好きな対象が出来て、そちらに愛情が移るということが多いのは頷ける。

 

でも、代わりもいなくて、担当が変わってしまって降りるのって、簡単な言葉だけど、つらいなぁ。

 

 

好きでいたくても、探してもどこにもいないことを想像すると……それは…すごくつらいなぁ。

 

 

実はデビュー担(オタクじゃなかったけど)の私も、“私の中の彼ら”がいなくなったから降りた。

変わってしまったのである。

もちろん今も活動してるけれど、私の知ってる彼らはどこにもいなくなってしまった。

だから、降りた。

このとき、妹の降りた気持ちがちょっとわかった気がした。

 

 

 彼らがどこにもいないという、つらさ。

 

 

あぁ違うな。

探してもいないのではなく、探したらいるんだ。

 

過去の映像の中に。

 

降りる前は擦り切れるほどDVDを見た。

何度も見て、過去の映像の中の彼らを『やっぱ好きだなー』って思った。彼らはそこにいた。でも、やっぱり現実にいなくなった。

同じ顔で同じ名前の人はいるけれど、同じ人はいなくなった。どうやっても会えない。

探してもその姿がないのが、つらかった。

アイドルって偶像的な部分もあるのに、さらに、徹底的にないものになってしまうなんて。

 

そして私は会員証をズタズタに切り刻み、捨てた。(降りた)

※個人情報だから切り刻みましたw

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回のツアーはご縁があり、とある平日の公演にも入れることになった。

平日だしなー・・・どうしようかな?と、考えた結果、ダメ元で妹を誘ってみた。

 

 

すると妹からは即、真面目な答えが返ってきた。

「前に一緒に行ったとき、よくわかったんだよね。

藤ヶ谷は、本当にもうどこにもいなくなった。

もしかしたら1ミリくらい残ってるかと思ったけど、もういなかった」

 

 

この場合の“藤ヶ谷”というのは、妹の頭の中の藤ヶ谷くんのことである。

 

 

遠征地のコンサートで3時間弱、ただジッと彼らの姿を目に焼き付けていた妹。

見終わったとき「わかった」と言ったのは、このことだったのか。

 

 

確認作業のような。

いないことを、受け入れるための。

 

 

私も好きだった姿がなくなって降りた経験はあるが(切り刻んだときの話)、それを飲み込む経験は、まだ、ない。

 思えば無神経に誘ったけど、結構…いや、かなりつらくないか?無神経すぎて嫌になる。(自己嫌悪)

 

 

 

ちなみに私が藤ヶ谷くん、北山くん、などと言ってるのに対して妹は「藤ヶ谷」「北山」と、呼び捨てである。

私が気を使って「さん」「くん」付けしていても呼び捨てである。なんとも失礼な!キーッ!

妹の原文ままなのでお許しいただきたい。

まぁ、呼び方はデビュー前担の人の特徴のようにも思う。

あ、聞いてないかもしれないが、妹は私を「姉」と呼びます(いら情

 

 

  

でも、これを書いていて気付いてしまった。

私が藤ヶ谷担の覚悟を決めた頃(仰々しい)

「姉に藤ヶ谷担は無理だよ」と、笑われたんだけど、その理由が「全く好きなタイプと違うじゃん」というものだった。

 

単純に姉妹揃って藤ヶ谷担、みたいな感じだが、そもそも我々姉妹は、同じ人を好きになったことがない。

 

小学生の頃、

私が木村くんが好きなときは、妹は中居くん。

私が光一さんが好きなときは、妹は剛さん。

 

 

 

ぜったいに同じになったことがなかった。

 

 

それが、同じ藤ヶ谷くんを好きになった。

こんなことは初めてです。

ただ、好きになった時期が違うから、同じ人だけど、同じ人じゃない。

やっぱり別人ってことかな?

 

 

 

 

 

「コンサート申し込もうかなーどうしようかなー」と、迷うと妹は言う。

「好きな時期に行った方がいいよ。いなくなるかもしれないし」

その言葉は、重い。

重いなぁ。

“いなくなる”は、退所ではなく、その子が変わってしまうことを指している。

 

 

好きだった子が、好きなまま、ずっと存在してくれてることって、奇跡でしかない。

 

ずっとキープしてくれてることってもしかして、すごいことなんじゃないかな?

成長もしたいだろうし、新しい方向に行きたくなるかもしれない。方向性を変えたくなるかもしれないし、“キャラ”チェンジをしたくなるかもしれない。

でも、ずっとキープしてくれるのって、すごいことなんじゃないかな。

もちろん、みんな成長するから、成長後の彼らや、キャラ変後の彼らも自分の好きな系統であることもすごいと思う。それって、奇跡だ。

 

 

 

 

 

『またね!』

 

『また来年、遊びに来てください!』

 

 

 

 

彼らはいつもそう言うけれど、“また”のときの彼らが、彼らである保証は何一つない。

実際、この『またね』がなかったときに、私は降りた。

 

 

そう思うと、1公演1公演、その一瞬一瞬を大切にしようと思う。

彼らがそこにいてくれることに「感謝」して。

それが私のベースである。

 

まぁ公演内容や番組についての文句はやんや言うけど(苦笑)それも楽しみのひとつなの♡(笑)

彼らが、自分の好きな姿で目の前に立つ選択をしてくれていることに感謝をした上での発言である。

 

 

ありがたい。

 

 

文字通り、“有難い”ことなのである。

そう思うと、そのほかのいろいろはどうでもよくなる。

そんな贅沢は言えないしね。

 

 

 

ちょっと真面目な話、毎日感謝している。

 

まず朝、目が覚めること。

もしかしたら、寝てる間に息絶えてるかもしれないし。

(幼なじみのお兄さんが、朝、急に亡くなったことがあったので、朝目覚めることの感謝の気持ちは抜けない)

 

そして、同じように自担や、自担グループが息をしていること。生きていること。

さらに、その世界に留まっていてくれること。

公演が出来るだけの平和が保たれていること。

オタ活動において、世界の平和は切り離せない。世界平和は常に願っている。

コンサートやテレビ、ラジオ、何かしらの媒体で、今の状態を見たり知ったり出来ること。

 

もうそれ以上は望んじゃいけないほど、幸せなことだと思っている。

だから、毎日何かに感謝している。

いつか来るかもしれない、彼らがいなくなる時に、後悔しないために。

 

 これが私の応援スタイルです。地味ですみません。

 

 

 

 

 

ちなみに、妹を誘った結果、一緒に行くことになった。

わーい!妹とお出かけー\(^o^)/

 

私は藤ヶ谷担であり、トラジャ箱推し(七五三掛くんお墨付き♡)だ。

今回のツアーには並々ならぬ思いがある。

すっかりオタクじゃなくなった妹に、私は毎日トラジャトラジャと言って写真を見せた。

が!「こんなのが好きなの?」と言われた。(激怒)←

私たち姉妹はいい大人だが、ちょっぴり喧嘩になった(ここは折れない)

 

でもどうやらかつて、私は妹に同じ言葉を言っていたそうだ。

キスマイに「こんなのが好きなの?」って。

本当申し訳ございません。(深々)今、大好きです。(深々)出来るならその発言をした私をぶん殴ってやりたい。

 

 

そんなことから妹は、当時が懐かしくなったようで喧嘩のあとは大笑い。

「姉の好きなトラジャを見てみたいな」と言っている。

藤ヶ谷担だった妹から、姉へ。

そのまた逆もあるのかもしれない。

 

 

 

妹は言った。

「キスマイも、バックで踊って先輩のファンを奪ってきた。

もう先輩の立場なんだね。もうそんな時期か…。そっかぁ」

 

彼女の中で、何か結論が出たのかもしれない。
どこにもいないことを受け入れ、大きな意味で、時代の流れを受け入れる。

バック担だった人は、その辺りシビアで、かつ、柔軟だと思う。メンタルが、パンパなく強い。
メイン以外の出番を当たり前に受け入れ、正当に評価する。
「先輩にお世話になってきたから」とは、よく聞く言葉だ。

体育会系のノリが嫌いではないので、何だかそういう縦社会的なのは大好きだ。 

 

 

 

 

 

彼女がトラジャ担になったかどうかは、機会があればしようと思う。

とりあえず、コンサートを姉妹で参戦出来る日を楽しみにしている。

 

 

 …って、何この妹大好き話。(笑)

すみません、妹担歴は最も長いんです。

 担降りしないよ♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうそう、トラジャが見たいと言った妹はニヤリとして、

「バックにファンを取られるようじゃその程度だよねー。あー楽しみ」と、言った。


この言葉、覚えがある。

 

これは、彼女がキスマイ担だった頃によく言っていた言葉だった。

 

 

 

 

 

※担降りアンケートにご協力いただきました皆様ありがとうございました。